スペシャルインタビュー
住宅業界のトップランナーを徹底解剖
地域に愛され、受け継がれる会社へ!地方創生につながる家づくり。
代表取締役 坂東 秀昭さん
富山県の朝日町を拠点にする家印株式会社。人口減少や高齢化など課題も多い地方ですが、代表取締役の坂東秀昭さんは、家づくりからまちの未来を見据えます。空き家活用や企業誘致を仕かける「みらいまちラボ」の設立をはじめ、学生たちに向けた「住宅デザイン塾 for youth」の開催など、さまざまなことに挑戦し続ける日々。そうした地域貢献が信用信頼にもつながり、口コミ中心に業績を伸ばしている、注目の工務店です。
#地域密着型工務店 #地方創生 #ブランディング #次世代育成
「好き」をバネに!柔道の世界から建築の道へ
「僕はもともと勉強が大嫌いで。人よりもちょっと体が大きくて力があったので、地元で盛んだった柔道を勧められて、小学校から始めたんです」
そう朗らかに語るのは、家印株式会社の代表取締役、坂東秀昭さん。小学校では県で2位、中学校では柔道の名門に入って全国を目指したほどの腕前でした。
「中学で全国大会まで行ったのですが、大ケガをして全国優勝は果たせませんでした。高校では、ケガのリハビリをして復活してからもう一度チャレンジ。当時の日本無差別級のチャンピオンを倒したこともあります。ただ、緊張しいなので、なかなか大事な大会では良い結果が残せなくて。そのまま大学は体育学部武道学科、柔道の先生を目指すようなコースに進学しました」
まさに柔道一筋、厳しい練習の日々から学んだ礼節や粘り強さは、のちの経営姿勢の基盤にもなったようです。そして、そんな中、思いがけない転機となったのが学生寮での「DIY」でした。
「家賃8千円の4畳半で、トイレも風呂も共同の学生寮で生活していたのですが、そこがあまりにもひどくて。壁もボロボロで、お化けが出そうなほど。それが嫌だなと思って、自分でホームセンターで材料を買ってきてきれいにリノベーションをしたんです。雑貨とかも買っておしゃれにしたりするのが、すごく楽しくて」
当時はちょうどテレビで建築家が出てくるドラマも流行っていて、建築家への憧れがふくらんでいったという坂東さん。そこからどんどん建築への思いが募り、ついにはお父さまに援助を申し出たそう。「地元に帰ってくること」を条件に、建築の専門学校へ入学することになります。デザインコースでは講師に課題作品を高く評価され、ますます建築の面白さにのめりこんでいくことに。
学校卒業後は約束通り、富山の建築会社に入社しましたが、さっそく社会の荒波にのまれることになりました。現場での経験は積めたものの、好きな建築の仕事はほとんど任せてもらえないまま5年を過ごし、会社の経営難や倒産にも直面したそうです。
その後、アルバイトを転々としながら、ときどき建築関係のアルバイトをしていた時期も。しかし、ある日たまたま入った寿司店で大将の目にとまることになります。
「地元のお寿司屋さんへ食べにいったとき、建築の楽しさや過去の思い出話を語っていたら、大将が『弟が家を建てるから設計してみられる?』と。でも、挫折していた僕は『できません』って断ったんです。そうしたら、『失敗してもいいから、やってみたら』って。 そんな人、いないじゃないですか」
坂東さんの人柄や、建築への熱い思いがあってこそのご縁だったのでしょう。その家を実際に手がけることになったのを機に、意を決して個人で設計事務所を立ち上げることに。とはいえ、何のつてもないままの独立はそう簡単にはいきませんでした。工務店の下請けで設計をする仕事がメインとなり、約10年間、理不尽な悔しい思いを重ねたといいます。
「赤字まみれになって借金もどんどん膨らんで、いつつぶれてもおかしくない状態の10年だった」とふり返る坂東さん。それでもひたむきに建築と向き合ううちに、アルバイトや社員にしてほしいと志願する仲間が現れ始めました。そして2015年、現在の家印株式会社が設立されることになったのです。
下請け時代の理不尽な経験を反面教師に、現在11年目となる家印株式会社では「やられて嫌なことはしない」経営方針を大事にしています。支払い条件や値引き交渉など、業界にはびこる慣習に疑問を持ち、独自のルールを導入。また職人の顔をホームページで公開していますが、彼らからの信頼も厚く、そうした仲間づての依頼も多いそう。職人組合、ノルマ・マージンのない環境を整えたことで、有能な人材が定着しているといいます。

地域の困りごとから、絶景を生かした家づくりまで
地域貢献に取り組むなかで坂東さんが重視しているのは、朝日町の観光地化ではなく、そこで豊かに暮らす人を増やすこと。企業のワーケーション施設新築や古民家を活用した企業サテライト拠点誘致、新規お店の誘致、起業支援をしていますが、そうしたことが地域の仕事を増やすことにもつながっています。
こうした産業創出にも取り組み、空き家を活用したシェアハウスやコミュニティの形成、移住者受け入れの仕組みづくり、アフターサポート・点検・清掃・不動産管理まで、家印では多角的な事業展開を進めています。

今では町長に「まちの救世主だ」と言われるほど、地域の信頼を得ることになった家印ですが、まだ名も知られていなかった当初は小さな仕事の積み重ねからスタートしたといいます。お風呂の入れ替えなど、まちの小さなリフォーム工事を請け負い、なかには数千円の依頼も。土地のもめごとの相談役や、空き家対策などをボランティアで請け負った時期もありました。
ほとんど利益にはならないような、まちの「困りごと」の依頼。それでも手を抜かずに、依頼主の思いに耳を傾け、一つひとつを丁寧に仕上げていったことは、その後の信頼獲得につながっていったといいます。
「たとえば大手ハウスメーカーは今、地方にいっぱい入ってきていますが、仕事がなくなったら全部捨てて出ていっちゃうんですよね。シロアリが出た、雨漏りした、なんとかしてくれと言っても、地元に業者がいなくなったら、みんな困り果てる状態になると思うんです。工務店としては、そういう地域の困っている人たちも助けながら、自分たちが本来やりたい仕事でも収入を得ていくという両輪を歩める道がつくれるんじゃないかと思っています」
その言葉通り、この9年間は社員の給料が毎年上がり続け、現在は自己資本比率も50%近くまで上がっているという家印。一番手がけたかったこだわりの家づくりも、数多く手がけています。

「やっぱり、僕が自分でやってて一番楽しいのは、地方ならではの絶景がある暮らしなんですよ。この事務所もすぐそばに海がありますが、ハザードマップでも洪水や津波の心配が少ない珍しいところなんです。景色が最高だと、時間の流れも変わるし、すごく前向きになれる。ちょっと歩きたくなるし、暮らしが自然と健康的になるんですよ」
小さな困りごとへの対応から始め、今では素晴らしい景観を生かした家づくりも手がける工務店へ。地域の材料を活用し、職人の質も高めながら、地域内での経済循環を意識しているといいます。
大小関係のない仕事への真摯な姿勢から得た信頼を原動力に、売上げは新築・リフォーム・企業案件でリスクを分散。この10年間は集客にはコストをかけず、ほぼ口コミだけで毎年黒字経営を維持しています。
「みらいまちラボ」で朝日町発の地方創生モデルを
人口減少や高齢化、空き家の増加と、多くの地方が抱える課題に、この朝日町も直面しています。地域貢献を大事にしながら事業を展開してきた坂東さんは、家づくりにとどまらない活動もしています。その象徴が2021年に設立した「みらいまちラボ」です。

「最初は、信用を得て仕事をもらうために地方貢献を始めたというのが本音なんですけど。でも、やっていくうちにいろんな成果が出てきて、新聞やテレビ、雑誌で取り上げられたり、公演の依頼などもすごく増えたんですよね。そうしたら、地元のおじいちゃんやおばあちゃんにも僕の存在が知られるようになって、『あんたがんばっとるね』とか『応援してるよ』って。みんなすごくあったかくて、良くしてくれるんです」
そうした反響から、前にも増して地域に貢献したいという思いが強くなっていったという坂東さん。
「やっぱり自分が生まれ育ったまちだし、信頼を得たいという下心じゃなく、本当の意味で良くしたいなと思うようになって、5年くらいかけてさまざまなことをやってきました。そんなとき、『カンブリア宮殿』で取り上げられていた藤野さんを知ったんです」
地方の企業に投資して雇用生み出し、経済をまわして地域を元気にする活動をしている投資家の藤野英人さんです。それまでは「投資家に否定的なイメージを持っていた」という坂東さんですが、藤野さんの活動を知って「社会を良くするための投資」という価値観を学び、そこに可能性を感じたといいます。
偶然にも、藤野さんは富山出身。そこで縁とチャンスを感じた坂東さんは、Facebookのメッセンジャーからメールをしたり、講演会へ行って本人に挨拶をしたりして、持ち前の根性で連絡を取り続けたのだそう。多忙な藤野さんからなかなか良い返答は得られませんでしたが、富山の共通の知人の協力なども得ながら、とうとう朝日町へ来てもらう機会をとりつけることに。
「藤野さんも実際に来たことで、この海や山、水のゆたかな朝日町の良さを感じてくれたみたいで。『日本全国の地方創生を見てきたなかで、ちょうど自分もどこかでコミットして汗を流さなきゃいけないと思っていたタイミングだった』と。地方と言っても東京から見ると中途半端なビルがいっぱいあったりするけど、朝日町にはビルが一軒もなくて、田舎としてはすごく面白いし、可能性があるということでした。それに、いろいろ見てきて、『あなたたちには熱量があるから可能性があると感じた』と言ってくれたんです」
坂東さんは、さっそく用意していた朝日町の古民家を藤野さんに紹介。そこを購入してもらい、この古民家を拠点として一般社団法人みらいまちラボを設立しました。藤野さんと坂東さんの合同代表です。
「僕はずっと、『朝日町を良くしたい』と言っていたのですが、藤野さんには、それは素晴らしいことだけど、それではうまくいかないとはっきり言われたんです。『朝日町から富山、日本を良くする』というくらいの大きなビジョンを持っていかないと、外の人には響かないんだと。みんなにもメリットがあることを考えないと人は来ないよと言われて、その通りだなと大事な視点を教えていただきました」
この社団法人で目指すのは、地域創生と起業家の育成。特に、「働く選択肢を増やす」戦略は、日本全国から企業や経営者が集まるワーケーション施設や地方創生の施設の建設につながっています。
「僕たちは『建築』を売っているわけじゃない、地域を良くすることをやっていくんです」と語る坂東さん。地域貢献は、そこを拠点とする工務店にとっては自社の発展にも寄与する大切な視点です。
地域の工務店と一緒につくる「住宅デザイン塾 for youth」
地方の工務店にとって大きな課題の一つが人材不足です。建築を志す若い人材をどう育て、地域に根づいてもらうか。そこで出した坂東さんの答えが、学生向けに「住宅デザイン塾 for youth」を立ち上げることでした。年に3回開催されるこの取り組みには、全国から熱意ある学生たちが集まっています。
この塾で特徴的なのが、建築学部以外でも建築に興味を持つ若者を発掘・育成できる可能性を加味している点です。また、地域の工務店にも協力をあおいでホストとなってもらい、協賛企業の支援も受けて運営されていることから、現場感のある生の学びがあります。

「建築の学校だと、出された課題に対して作品をつくって、それを先生が判断するという形になりますよね。そうではなくて、実際のリアルな仕事に基づいたやり方で、お施主さまと設計プランをする側と、両方の疑似体験をしてもらうんです」
住宅デザイン塾 for youthでは、事例としてあげる敷地を見てお施主さまのご要望を聞き、それをプランニングしていきます。そのプランをお施主さま側がどう感じたのか、評価してもらうところまでを疑似体験するものとなっているそう。
「学生たちも、自分で考えたものが形になったのをお施主さまによろこんでもらえると、すごくうれしそうです。でも、実際の仕事も一緒で、デザインというのは問題解決なんですよね。お施主さまが求めるものに応えるのが本当のデザインなんだということを体感してもらうことで、建築の仕事の在り方とか楽しさ、価値に気づいてもらえれば」
この塾では、否定せずに褒めて伸ばす教育方針だといいます。
「先生たちもすごくいい関わり方をしています。一切否定しないし、一切相手をコントロールしない。考えたものをちゃんとみんなにプレゼンできるようにして、褒めて伸ばすというやり方をしています」
日本全国から参加費と旅費をかけて来る学生たちだけに、建築への思いの強さを感じるという坂東さん。ほかではそうした未来ある学生たちと工務店が出会う機会はなかなかありませんが、ここは就職活動前から接点を持てる貴重な場となっています。これまでに地域で5社の工務店が、ホスト役として参加協力してきました。
「この塾を通じて、より建築が好きになってくれることもあると思います。そういう子たちを採用できる会社にしたいなと思っているんです。だってやっぱり大変な仕事だし、思いがないとやめていくので。多少は大変でも、この仕事にやりがいとか誇りとか、価値を感じている建築が好きな人であれば、僕がそうだったんですけど、やっぱり困難を乗り越えて続けられるんですよね」
地域に根ざした工務店から、次世代を育てる場へ。住宅デザイン塾 for youthは、家印が築いてきた信頼を未来へつなげる挑戦そのものです。
【編集後記】
富山県朝日町—消滅可能性都市の一つに挙げられるこの小さなまちで、坂東秀昭さんが起こしているのは静かな革命ではないかと。
柔道一筋だった青年が、学生寮での「DIY」をきっかけに建築の世界へ。この偶然の出会いが、やがて地域全体を巻き込む大きな流れを生み出していく過程に、人生の不思議を感じます。
特に印象深かったのは、下請け時代の理不尽な経験から生まれた「やられて嫌なことはしない」という経営方針です。苦労を糧として生まれた血の通った信念に、経営者としての矜持を見た気がします。
何より心を打たれたのは「住宅デザイン塾 for youth」への取り組みです。地方の人材不足という課題に対し、坂東さんが選んだのは嘆くことでも諦めることでもなく、自ら若い才能を育てる場をつくることでした。そこには建築の技術だけでなく、仕事の本質や価値を伝えたいという熱い思いが込められている気がします。
「建築を売っているわけじゃない、地域を良くすることをやっていく」という言葉が、今も印象に残っています。真の地方創生のヒントがここにあるのではないでしょうか。
(N-LINKC 野口)

